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【日露戦争】厚遇されるロシア人捕虜写真発見 78枚、大阪の収容所も

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2020/05/11(月) 02:49

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日露戦争の捕虜写真発見 78枚、大阪の収容所も
2020.5.9 13:27更新
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 軽業師の曲芸を見るロシア捕虜ら(手前)。大阪周辺で開かれた公演とみられる(イワノボ国立歴史郷土博物館提供、共同)


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 大阪の浜寺俘虜収容所で開かれたとみられるロシア人捕虜の葬儀。奥にひつぎ、手前に楽器を演奏する捕虜の姿が見える(イワノボ国立歴史郷土博物館提供、共同)フルスクリーンで見る
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 日露戦争(1904~05年)で日本の捕虜となり、大阪府の「浜寺俘虜収容所」とみられる施設などで過ごすロシア兵らの写真78枚のガラス板ネガがロシア西部イワノボ州の民家で見つかり、イワノボ国立歴史郷土博物館が公開せず所蔵していることが9日分かった。(共同)

この記事へのコメント

一方、シベリア抑留者は…

日露戦争は日本が戦勝国というわけでもなかったしな

イワノフカ事件は、1919年3月22日、シベリア出兵中の日本軍が、ロシア白軍からの要請で、白軍と敵対するパルチザン(革命派武装勢力)に対する掃討作戦を各地で展開する過程で、革命派武装勢力派のイワノフカ村(アムール州ブラゴベシチェンスク郊外)(ru)を白軍と共に焼討ちし、数百名の村民を焼殺および銃殺した事件。

いいとこだけ見せる 悪いとこは隠し通す まるでチョン

マツヤマは有名だろ

日本は日露戦争や第1次世界大戦では、捕虜に対して寛大であった。 特に、ロシア兵は日本の捕虜収容所で読み書きを覚えた兵士も多く バルチック艦隊の総司令官に対しても、東郷司令官は失礼にならないように 面会の際には気を使った。その態度に、ロジェストヴェンスキー司令官は いたく感動して「あなたと戦えた事を光栄に思う」と称した。 第1次大戦におけるドイツ兵捕虜の処遇は有名で鳴門市の「坂東捕虜収容所」の 逸話は有名。今も、ドイツ兵捕虜の子孫との交流があり「ベートヴァンの合唱」コンサート が開催されている。

昔の日本人は武士道精神に溢れていたからな それに比べて今の日本人は戦争経験もなく大した事でもないのに人をすぐキチガイとか誹謗中傷する人でなしばかり 全く情けない ネットに依存してるからイキってるだけじゃなく本性が腐ってる

外国相手にええかっこしいをしてただけ 戦国時代の敵捕虜なんてひどいリンチを受けてた 黒田官兵衛なんてピッコにされたし

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