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【朝鮮日報コラム】 日帝が壊した門、われわれがよみがえらせた門 [11/17]

東アジアnews+
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2024/11/21(木) 04:14

朝鮮王朝時代に「東闕(けつ)」と呼ばれていた昌慶宮と昌徳宮は、もともと塀一つ隔てただけで宗廟と隣り合っていた。1932年に日帝がこの塀を取り壊し、昌慶宮と宗廟の間に道路(現在の栗谷路)を通した。総督府は、交通の便を良くするためだと言ったが、宮殿を壊して植民地朝鮮人の誇りを傷つけようというのが本心だった。そういう意味から、昌慶宮と宗廟を再び連結する復元事業は、植民残滓(ざんし)を振り払って文化・経済……

この記事へのコメント

ずいぶんと違くない?

本来なら日本がやらなければならないこと

本心だった? ただの決め付け思い込み、と毎度のことやってるのか

全然違うからやり直し

その門使ってたの、国民を奴隷にしてた奴らだぜ?

本来なら独立門ぶっ壊すべきだろw

「迎恩門」が朝鮮人にとって何を迎えて嬉しかったのか 迎恩門を壊して建てた「独立門」が何から独立させて貰って朝鮮人が嬉しかったのか そろそろコリアンは歴史の真実を知る必要がある

不衛生で雑居なエリアで都市計画に邪魔だったんだろう

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