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【歴史】実は不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」

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2021/02/09(火) 08:01

本能寺跡。天正10年6月2日未明、明智光秀はここに織田信長を襲って自害させた。撮影/西股 総生 (城郭・戦国史研究家:西股 総生)
■ 「中国大返し」の本当のキモ

この記事へのコメント

北畠顕家に調べたらスローリィだよね

水攻めって怖くない?

最初から知っていて引き返す気でいたなら高松城を囲んでるときに謀反起こされるなんて最悪だろ。

清水がもう少し粘ってたら明智と毛利で秀吉を挟み撃ちって可能性もあったんだな

twitterで知って、新幹線でとんぼ返りしたんだろ 不思議でも何でもない

結局、麒麟は来ないまま終わった…_ト ̄|○

「腰兵糧」連発してるけど秀吉軍て末端に至るまでそんなに忠義に厚い優秀な奴らだったの?

秀吉黒幕説はだいぶ有力だと感じるけどな 中国大返しもだが、その後の動きが迅速で的確過ぎる 周りがキョトってる時に、何の迷いもなく地盤固めたのはいくらなんでも手際良過ぎだわ

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