ニュースを更新

【歴史】実は不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 ★2

ニュース速報+
374
2021/02/14(日) 06:26

本能寺跡。天正10年6月2日未明、明智光秀はここに織田信長を襲って自害させた。撮影/西股 総生 (城郭・戦国史研究家:西股 総生)
■ 「中国大返し」の本当のキモ

この記事へのコメント

光秀描いた大河で本能寺以後全カットは萎えたな

ここで秀吉が帰ってこれなかったら歴史はどうなってたんだろうな

秀吉も光秀も実は戦に弱い

人と武具とを最も早く移動させるなら船だったのに なぜ秀吉は船を使わなかったのかが謎

中国大返し 秀吉の軍 そんなに走ったら、山崎の戦いで疲れないのかね

何で当然なのかを述べて無い もし毛利の謀略なら、追撃食らう可能性があるんだぞ

大河の細川の動きがよく分からん。なんで明智から離れた?

光秀は最後に山中で土人に殺されたみたいだが どこに落ち延びるつもりだったんだろう

コメントをもっと見る
関連記事