【韓国】 文字も衣服もない原始生活をしていた日本に百済が文物を伝えた~天皇は奈良百済の総督の様なもの ★8
百済東城王の死で王位に上がった武寧王は蓋鹵王の息子であり昆支王(困支)の養子だ。462年、倭地にある奈良百済に行く途上にある各羅島で生まれ、名前は隆だ。生まれた後も続けて奈良百済で成長したので日本語でシマ(島)またはサマと呼ばれた。それで彼を斯麻王とも言う。
これは倭地にもう一つの百済があったことが分る部分だ。それが奈良百済だ。奈良百済は近肖古王(クンチョゴワン)の時に建国されたが当時、近肖古王は……
(=゚ω゚)ノ 奈良といえば平城京跡!近鉄奈良線が迂回を余儀なくされました! 迷惑千番!
そして今日も韓国では新しい事実が創造される
おまえら百済ない話をすんなよ
その頃、エベンキはシベリアでトンスル飲んでましたとさ。笑
何でこんなスレが伸びてんの
どっちかというと、百済まで日本だったんじゃね?
また、妄想記事かぁ?
書いてる人が、命理学者・歴史小説家てなあフィクションですと入れとけよ、 それに命理学者て何?