【韓国】 文字も衣服もない原始生活をしていた日本に百済が文物を伝えた~天皇は奈良百済の総督の様なもの
百済東城王の死で王位に上がった武寧王は蓋鹵王の息子であり昆支王(困支)の養子だ。462年、倭地にある奈良百済に行く途上にある各羅島で生まれ、名前は隆だ。生まれた後も続けて奈良百済で成長したので日本語でシマ(島)またはサマと呼ばれた。それで彼を斯麻王とも言う。
これは倭地にもう一つの百済があったことが分る部分だ。それが奈良百済だ。奈良百済は近肖古王(クンチョゴワン)の時に建国されたが当時、近肖古王は……
人類の敵センジンを殲滅しろ!!!!!!!!!!
なんで、そんな国が最貧国になったのか考えろよ。 ぬるぽすぎる?从
>文字も衣服もない 12世紀になってようやく自分たちの歴史書が出来た劣等民族に言われたくないわ?七 衣服? 東北地方に住んでいた人たちは冬にはみな凍死していたのか?七
日帝に併合される前の暮らしを直視しろよ
まったく逆 朝鮮は掘っても何も出てこないんだよな
それは100年前の李氏朝鮮でしょ 任那日本府ってのがあってだな、その当時は半途に植民地があったぞw
奈良百済って、なろう小説のご都合世界「ナーロッパ」みたいだよな
わずか100年前垢で真っ黒な顔して糞だらけの泥道を裸足で歩いていたのが朝鮮人 併合前の写真を見てみろや