ニュースを更新

【食文化】江戸は蕎麦、京坂はうどん!: 東西の麺文化の違いを克明に記した『守貞漫稿』 ★3

ニュース速報+
965
2020/09/18(金) 04:03

江戸で屋台の蕎麦屋が発展した理由京坂の繁華街には「四、五町には一戸ナルベシ」(4~5区画に1軒あった)、江戸では「毎町一戸アリ」(どの区画にも1軒はあった)だったという。江戸のほうが、ニーズは高かったということだろう。
それには理由があった。江戸の住人は、圧倒的に男が多かった。諸説あるが、男1.8に対して女1ほどの割合だったらしい。市中には地方から職を求めて来た者が多く、大抵は一人暮らしだった。参……

この記事へのコメント

麦の産地がキーポイント

どちらも北海道産が至高

あの真っ黒い汁が終わってる

東西うどんそば論争は死人が出るレベルで盛り上がる

初期に作ってくれる人が少ないのもあるが、いても長屋の竈はショボかったので手の込んだものは作れなかったし

東海道中膝栗毛の各宿場の名物とかは普通に今でも旨そう

日本3大うどんに京阪の名前なんかないよ

東日本は寒冷地で 米が取れない為に蕎麦になった

コメントをもっと見る
関連記事